息子が自閉スペクトラム症と診断された時のこと

発達障害・発達凸凹

次男が自閉スペクトラム症と診断されたのは2歳4ヵ月の時。 今日はその時のことを思いだしながら書いてみようと思います。

病院選び

前回の記事でも書いたように、次男は2歳の誕生日を迎えても1単語も出ておらず、アイコンタクトも一切無かったため、私から市役所に連絡して相談しました。
そして市が管轄している療育施設を紹介されます。
我が家が住んでいる地域で発達外来がある病院はどこも半年以上待たなくてはならない状況でしたが、療育施設が持っている予約枠があり、そちらでお願いできたため約4ヵ月後に検査を受けることが出来ました。
つまり病院は自分で決めたというよりは相談してオススメされたところに予約した感じです。
基本的には児童精神科や小児神経科、発達外来などで受けられます。
もしもどこの病院にすればよいのかわからず困っている方は、市区町村や県に相談してみるのも良いかもしれません。
全ての地域で行われているかはわかりませんが、我が家が住んでいる市では発達障害の診療を行っている医療機関のリストが作られていて、診療領域(対応が可能な発達障害)や診療内容(言語療法・作業療法・ペアトレーニング等を行っているかどうか)などもまとめられています。

 

 

発達検査

息子1人の検査に児童精神科医師・公認心理師・作業療法士・理学療法士など大勢の先生方が関わることに驚きました。
息子はまだ年齢的にも早いということで、この時うけたのは知能検査ではなく発達検査です。
一つ目の検査は新版K式発達検査2001
この検査は様々な物(検査道具)の扱い方や言葉による質問を通して『運動の力』や『知的能力』の発達の程度を見る検査であり、同年齢と比較して、発達の度合いが実際の年齢よりどのくらい差があるかを評価する検査とのこと。
先生と子供1対1で行うため実際には見ていないのですが、検査結果によるとこんなことをしたらしい↓
・階段に見立てたブロックをのぼる
・ジャンプする
・先生の真似をして積み木を重ねる
・先生の真似をして曲線を書いたり直線を描く
・大きさの異なる3つのカップを順に重ねる
・先生が指定したイラストを指を指して選ぶ
・6つの絵カードに描かれている物の名前を答える


ジャンプはまだできず。
次男は積み木を積めたのは4つまで。
曲線は真似をして描いたが直線は書けなかった。
指さしは出来たが、口で答えることは1つもできなかった。

次男(当時2歳4ヵ月)の結果
総合的な発達(DQ)70→1歳7ヵ月水準
運動機能(P‐M)71→1歳8ヵ月水準
道具を扱う力(C-A)72→1歳8ヵ月水準
言葉や他社とのコミュニケーション(L-S)62→1歳5ヵ月水準
※DQとは発達指数のこと。
発達年齢÷実際の年齢(生活年齢)x100で求められ、もしもその子の発達年齢が実年齢と同じであればDQ=100になるそうです。  

二つ目の検査はADI-R
自閉症の診断面接ツールです。
次男はまだ喋れないので、私と夫が先生と面接しました。
次男の結果
相互対人関係の質的異常・意思伝達の質的異常・限定的反復的常道的行動様式の3領域において自閉スペクトラム症の特性が認められた。

その他、検査中や自由遊び中の行動観察所見が結果には細かく書かれていました。  

 

 

診断

我が家は検査後その場で、先生から伝えられました。
次男は自閉スペクトラム症とのことでした。
診断と同時に発達障害の子はてんかんになるリスクが高いという説明も受けました。
後日診断書と検査結果の詳細がかかれた紙が家に送られてきました。  

 

 

当時の心境

2歳を過ぎても喋らないことや、1歳半健診で言われたことから、おそらく我が子は何かしらの障害を抱えているのだろうとは検査前から思っていました。
だから覚悟していたはずなのですが、その日の夜、子供達が寝てから泣いた覚えがあります。
当時夫はどう感じたのだろう?
恥ずかしいことに私は自分のことで精一杯で、あの日夫がどう感じたのかがわかりません。
ただ、優しい夫は私にずっと前向きな言葉をかけてくれていたことは覚えています(*^-^*)
その日からはそれまで以上にネット検索や図書館で本を借りたりと、息子の障害について少しでも知ろうと必死でした。
今考えると、息子を理解しようという気持ちよりも、ただただ将来の安心材料が欲しくて仕方が無かったのだと思います。
でも逆に傷つき凹む一方でした( ̄д ̄)
まだ2歳なのに『自閉スペクトラム症が向いている仕事』というページを読んで「陶芸家や画家・アーティストって何人の人がなれるの!仕事に就けないと言われているのと一緒じゃん!!」なんて怒ったりして。
今の私が当時の自分にアドバイスできるのなら、「もっと息子の今を見てあげて」とか「息子なりの成長を見逃さないで!」と声をかけたいですが、当時の私には何と声をかけても無理だったと思います。
毎晩不安と心配で泣いてましたから( ;∀;)
子供の前で泣かないようにするのが精一杯でした。
では今の私は違うのか?と言われると、不安が無いわけでもないですし全く泣かないわけでもありません。
でもあの頃の自分よりも少しだけ心に余裕があります。
それは家族のおかげだったり、療育や園のおかげだったり。
診断後から現在についてもこれから少しずつ書いていけたらと思います。

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